大関武双山ともちゃっかり記念写真に収まる大将です。
ネット初公開の写真がスーツ姿なんて驚き
ですが大将もスーツ持ってたんですね?
朝の釣堀の受付は大将が担当しています。
武蔵丸と傳八大将
2002年6月26日(水) 傳八屋の釣り客さんの
紹介で「武蔵川部屋激励会の夕べ」に大将ら
参加いたしました。
この写真はその時撮っていただいたものです。
横綱武蔵丸を真横に緊張の大将です。
会場はジャルダン・デュヴェール(岐阜養老ミート)でした。
横綱はまさに動かざる山の如しですね。
大将も横綱のように強く、たくましい親方になって下さい《会場の庭園にて》
昭和34年8月7日の盛夏生まれ
祖父母、両親、姉妹の8人大家族の中で育つ。
名前は祖父(傳之丞)が自分の大切な?一字を
取って独断で傳夫(つたお)と命名する。今思うと生まれながらに傳八屋を背負わされる運命だったようだ。家は絶やしてならんの祖父の企みは大成功となった。
1年365日だけど370日?海に出てると,迫間浦での噂の
持ち主。顔の黒いのは親譲りと潮風と太陽のおかげ。
家族は働き者で美人のお嫁ちゃんをめとり、娘2人が授かった。
(その後、もう一人生まれ、娘3人となる)
今は2人とも中学生で大きくなった。が毎日忙しいので
いつのまにか大きくなってたことを最近気がついた。
子供の小さい頃は活魚を乗せて西や東やと運んでいた。
両親は近くに住み仕事を手伝ってもらってる。
氷売り場に立つ,看板娘?のおばあちゃんがその人(母)
父は釣り客さんの間で偏屈+頑固親父として長年人気を飛ばすが13年の春、急に受付け業務から引退した。キッと釣り客さんらもホッとしたことだろうと推測する。
しかしあれだけ力を注いでいたのにこの親父
引き際は見事で,受け付けの仕事にその後一切口を挟まず。
今は「楽でいいわ〜」と憎まれ口を叩いている。
見た目からは丑のようにも感じるが干支は
猪突猛進の亥、血液型はB型。性格は頑固かな。これも親譲りと干支のせいか?しかし、昔から親に似ぬ子は鬼子と言われ親の気質を受け継いたんだからやっぱり孝行息子かもしれない。
高校時代はボクシング部に所属、※インターハイにも出場。
祖父がわざわざ岡山まで来て応援してくれた。頑固であったが
心根のやさしい祖父だった。でも頑固さに順位をつけるなら
やっぱり、この祖父が1位だろう。
傳八屋の頑固さは歴史のある筋金入りだ。
今はすばらしいスタッフの人たちにも恵まれ活魚
釣堀の仕事に頑張ってる毎日です。
最後に、生簀の魚のことだったら何でも聞いてください。
傳八屋の魚はどれも自信を持って提供しています。
でもその魚の釣り方はお客さんの方が詳しく、上手ですよ。
※高校のボクシング時代にまつわるエピソード
後楽園ホールで試合があり、東京に行った時のことです。
その時は1週間くらい(5日だったか?)滞在しました。
同じくこの試合に出る為に大阪から来たと言う高校生と宿が
一緒になり、ボクシングをする者同士いろいろと楽しく言葉を交わしました。
「将来は、お互いメジャーになってやろう!」なんて、話もしたような・・・
若いってことは、いいもんです、怖いもん無しの言いたい放題ですから。
しかし、この高校生こそが、あの浪花のロッキーの
「赤井英和さん」なのです。今は俳優として大変活躍されています。
武双山とスーツ姿の大将
プロフィール
大将の横顔
インターハイ
昭和52年8月2日〜7日(1977年)
全国高等学校総合体育大会
ボクシング競技が岡山の総社高校
で開かれる。
その年の秋、南勢町町民体育大会
(10月10日)にて、体育功労者として表彰される。
大将が花の高校3年生のことだった。
(大将の妹の談)