■大釈の小母さん | |
●プロフィール
大正8年 1月20日生まれ この写真の方がドーナツの小母さんです。
迫間浦にある保育所の調理師さんとしてご活躍。正式に勤められたのはS36〜54年だったそうですが、最初町の職員でなく働いた数年も入れると通算21年間もの長い間勤務されました。 当時は物がなく困ったそうで、父兄がもって来てくれた材料やその日なんとか買えたもので作ったそうです。材料がないのでおかずが沢山できません、それで毎日味噌汁は作っていたとのことです。 しばらくしてからは洋食も献立に入りカレーもあったそうですが肉などはありません。フレークの缶詰を変わりに使ったそうです。今のシーチキンのような物です。この時代、迫間浦は沢山店もなく、1軒あった店でマヨネーズが欲しくて行きましたが手に入らず、マヨネーズも手作り。店の人は「マヨネーズ?てなんやなぁ〜」と聞いてきたそうです。
父兄には食材だけでなく、薪なども順番で1年に3〜4把ほどもらい、調理の方も小母さんだけだったので交代で手伝ってもらったそうです。何年かしてから地元の方が職員として入ってこられたようです。 困ったことは何でしたか?と尋ねてみましたら「保育所に勤め出した頃、垣がなく開けっぱなしで子供達が勝手に出ていくので大変だった。」また、この頃は親が朝夕の送迎がわずらわしくて、子供を連れて仕事に行く人が多かったようです。 おやつ作りもご苦労があったようです。親は味の濃い綺麗なものを希望してきました。小母さんや保母さんはできるだけ自然に近い、着色料など入れないおやつを作りたいと考えてました。その時新任の若い保母さんが父兄に一生懸命説明してくれて納得してもらったそうです。 とにかく、子供達に美味しくて体に良い物をと常に考えておられたそうです。当時一緒に働いてた方々の話しに及ぶと名前だけでなく、年数もポンポン出てきましたので、小母さんの記憶力には驚かされました。 最後に元気の秘訣をお聞きしましたら、子供達と長い間接することが出来たことと、最近(2年前から)はウコンが体にいいと聞き、下さる方があって粉にしたウコンときな粉をヨーグルトに入れて毎日食べてみえるとのことでした。小母さんのすごいのはそのウコンも栽培して自家製ウコンなんです。秋になると綺麗な大きな花が咲くので花も楽しんでいると話してくれました。 |
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